☆自閉症の長男がちょこっと前進したときの話。
今日は、長男が小学校4年の頃、ちょっと嬉しかったことを書いてみる。
ショッピングモールのフードコートでラーメンを食べた時の話。
ラーメンを注文するとスクラッチカードが付いてきて、削って当たりが出るとマスコットキャラクターの携帯ストラップがもらえるものだった。
僕と次男はハズレだったが、長男が削ったら当たりが出た。
喜んではいたが、しばらくすると僕にカードを差し出した。
要は、僕に当たったカードと景品を交換してこいと言いたいのだ。
僕は断った。
これはお前が当たったカードなのでお前が交換してくるべきだと言った。
これは長男が将来、損をしないための訓練でもあり、ほしいものを手に入れたいとき、どうすればよいのかの訓練でもある。(ラーメンの景品ごときに大袈裟なw)
携帯ストラップを手に入れるには初対面の店員に当たったことを話さなければならない。
長男にとっては試練かもしれないが、こういうことに徐々に慣れさせなければならない。
さぁ!長男よ!携帯ストラップを手に入れたかったら、店員に当たったカードのことを告げ携帯ストラップと交換してくるのだ!
両手で小さなカードを持ち緊張した感じでラーメン屋のレジに向かう長男の後姿が愛おしかった。
そして「これ当たりました」と長男は店員に言った。
店員は笑顔でよかったね~と言いながらカードと景品を交換してくれた。
受け取るときの長男の笑顔は忘れられない。
ニコニコしながら満足そうにこちらに歩いてきた。
これでいいのだ。
ピアノの先生が厳しくなった
長男は同じ町内にある自宅の2階でやっている小さなピアノ教室に通っていた。1カ月前、ピアノの先生に音楽科の高校受験に向けて鍛えてやってほしいとお願いしたところだ。
先生は高校の音楽科実技検査要項を既にネットで確認していた。
ツェルニー50番練習曲
ベートベンのソナタ
小5から週2でやり始めた息子にとっては非常に難しいらしい。(僕もツェルニー50番練習曲とベートベンのソナタをYoutubeで見たが、それはそれは目にも止まらぬ速さの指使いの曲だった)
先生は最初、息子のことをお願いした時は不安な表情をしていらっしゃったが、今は乗りかかった船と思っていただけたらしく厳しく指導していただいた。
長男はピアノ教室から帰ってくると、前まで優しかった先生が最近、非常に厳しく、よく叱られると言っていた。僕は先生の本気を感じた。ほんとうに感謝しかない。
こうしておじいちゃんとピアノの先生の協力のもと、高校受験に向けたプロジェクトが進み始めた。
息子は耐えられるのか?途中で根を上げないか?
こんな難しい曲が半年後に弾けるようになるのか?
現在5教科30点台が、350点までアップできるのか?
自閉症の息子がどこまで行けるのか?
不安と期待。
長男が合格した夢を見て、目が覚めるとため息をつく日々。
学校の同級生に「お前が受かるわけねーだろ」と言われた時は長男だけでなく僕もすごく悔しい思いをした。
何とか音楽科の高校に行かせてあげたい。長男の切実な思いは、僕の切実な思いでもあった。
おじいちゃんの記憶を取り戻せ
長男はおじいちゃんに勉強を教えてもらう事にしたと言った。土曜日も日曜日も朝から晩まで教えてくれると言ってたらしい。
おじいちゃん?できるのか?確かにおじいちゃんは中学校の教職員免許を若かりし頃に取得したと言っていた。しかし僕が小中の頃、勉強を教えてもらった事はないし、大学卒業からずっと営業職で夜遅くまで働いていた人だ。68歳のおじいちゃんが昔の記憶を辿って教えてくれるのか?
でも高卒の何の資格もない僕が教えることはできない。
しかも金が無い。
結果、おじいちゃんしかいない。
おじいちゃんは参考書や教科書の解読本みたいなのを大量に買ってきて、昔の記憶を蘇らせるために日中はずっと勉強していた。
長男が学校から帰ってくると自分のアパートには寄らず、そのまま実家のおじいちゃんに会いに行った。
夜中までマンツーマンで勉強していた。
長男は最初、おじいちゃんの説明が解らなくてイライラしていた。とにかく、なかなか覚わらない。
おじいちゃんは根気よく説明していた。
受験まで半年を切っていた。
僕は父親として何もできないことに情けなさを感じていた。
できる事は稼いで家事をして飯を作ることだけだ。
最低でもそれだけはしっかりやろうと思った。
地元新聞の学力テストがあった。もちろん長男も受けた。
結果は5教科37点
まだおじいちゃんとの勉強を始めて間もないから仕方がない。
高い目標
長男の成績では高校の音楽科は到底無理。
しかし、長男はボソっと「行きたい」と言った。
大好きなグランドピアノが50台近くあり、スタインウェイの高級ピアノもあった。バイオリンやコントラバス。色々な楽器を生徒たちが楽しく弾いていた。長男にとっては夢のような世界だったのだろう。
それに中学校の生徒たちから無理だと笑われたのも悔しかったのだろう。
彼の行きたいという切実な思いが痛いほど伝わってきた。
なんとかしてあげたい。行かせてあげたい。
あと半年も無かった。
しかし、やれるだけやってみようと決意した。
ダメで元々。
合格しなくても努力した事は 無駄にはならない筈だ。
先日の柔術の試合も負けてしまったが、やれるだけの事をやった彼はさっぱりしていた。彼はきっと頑張るだろう。
目標はピアノのレベルアップと5教科30点台の成績を350点までアップさせる必要がある。
自閉症と診断され、話す言葉も、言葉の理解もかなり遅れている。勉強も小学校3年生の教科書からやり直ししなければならない。
僕一人では無理だ。まず協力者を探すことにした。
まず、現在習っているピアノ教室の先生に会いに行った。
町の中にある主婦の方が自宅の2階で教えているピアノ教室だ。
息子が音楽科の高校に入れるようにレッスンしてほしいとお願いをした。
最初は無理だと言われた。
合格しなかったからと言って苦情を言うつもりはさらさらないし、彼がどこまでできるのか見たい、やれるだけやってほしいとお願いした。
先生は不安そうな表情だったが引き受けてくれた。
申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだった。
あとは学科だ。
長男のレベルでは塾は無理だ。ついていけない。
家庭教師しかない。
しかし・・・金がない・・・ほんとうに金がなかった。
万事休す。
高校見学
中学校の夏休みに僕と長男は高校見学に行った。
一つは音楽科のある高校。後二つは普通科の高校。計3校。
どれも雰囲気のいい学校だった。しかし長男の勉強レベルではどの高校も合格は非常に難しい。
とくに音楽科のある高校は5教科350点が最低ライン。ピアノの実技もすごく難しい曲だ。幼稚園からピアノ教育を受けている子でないと難しいかもしれない。
長男は県模試、5教科で計35点。 ピアノは小5から・・・・不可能だ。
一応どんな学校か見てみたいと長男が言ったので高校生活の雰囲気だけでも見れたらと思い、見学をしただけのつもりだった。
そして夏休みが終わり学校へ登校していきなり長男をいじめる同級生達に「お前、あの音楽科の高校に見学行っただろ。受かるわけねーのに」とみんなに笑われたと言っていた。その高校には普通科もあるから、見学会の時に同級生に見られたのかもしれない。
この話を聞いたときはとても悔しかった。長男も悔しく辛かっただろう、、しかし、、、しかし
確かに合格は不可能に近い。っていうか不可能だ。
中学校の担任からは「大変残念ですが、この周辺で行く高校はありません。私立も公立も行ける高校はありません。
少し遠くですが特殊な学校があるのでそこを卒業すれば高卒になりますので、その学校にしましょう」
と言われた。
まぁ、覚悟はしていた言葉だ。仕方がない。
その特殊な学校に入ってもピアノのレッスンとブラジリアン柔術は続けられる。
音楽家や格闘家で食べていくチャンスが消えたわけじゃない。今はみんなにバカにされて悔しくて辛いが、将来、絶対にバカにしたやつを見返すくらいのピアニストか格闘家になればいいと思った。
とりあえず高卒にしておくために、担任の先生から勧められた○○学園という特殊な学校に行かせようと思った。
僕と長男は無言で一緒にアパートに帰り、長男は無言で自分の部屋に入っていった。
僕は夕食を作りながらいろいろ考えていた。
担任の先生に勧められた特殊な学校は私立だ。学費・交通費などなど、考えるとため息が出た。どーやって家計をやりくりしようって悩んだ。
そして食事が完成し長男次男と一緒に食べた。
雰囲気が暗かったので次男が僕に話題を振った。何の話題だったかは忘れたけど、この雰囲気を打開するために次男と笑いながら話した。
その時、長男がボソっと何か言った。
小声だったし音楽も流れていたので何を言ったのかわからなかった。
長男にもう一度聞き直した。
え?なになに?って
そしたら長男はまたボソっと言った。
「お父さん。僕、音楽科の高校行きたい。」
長男、東京での試合
中学3年になって暴力を伴うイジメは無くなったが、物を隠されたり、席を外した隙に給食に物を投げ込まれたり酷い嫌がらせに遭っていた。
じいちゃんと僕は学校の先生に相談するつもりだったが、長男からやめてほしいと言われた。
2年生の時、いじめられた時に「親に助けてもらうなんて恥ずかしい奴だ」「ファザコン野郎~」と周りから笑われたらしい。
じいちゃんが、じゃあどーするの?自分で解決できるの?って言ったら、
彼は卒業まで我慢すると言った。
今までたくさん辛いことを耐えてきた。親として何ができるんだ。
あと少し耐えるしかないのか?もしどうしても、我慢できなければ転校という手段も考えていた。
その頃、東京で行われるブラジリアン柔術トーナメントが1ヶ月後に迫っていた。
長男は出場を決めていた。
とにかく練習に没頭させた。少しでも学校での辛い思いを忘れてほしかった。
練習は激しかった。繰り返される打ち込みに15分間ドリル(15分間入れ替わり立ち代わり相手を変えて戦う)スパーリングでも各上を相手によく頑張ったと思う。
鼻血を出したり唇を切って出血することも多々あった。
過酷な練習に耐えた。そして練習が終わると仲間との雑談。これがすごく楽しいらしい。
そしていよいよ東京での試合。
無差別級だったのでかなり大きいブラジル人が相手だった。
かなり激しい戦いだった。長男はここまでやれるんだって感動した。厳しい練習の成果だった。
しかし結果は、残念ながら判定負けで初戦敗退… ちょっと落ち込んでいたけど、悔いのない戦いだったらしく、数時間で笑顔が戻った。
帰りはおつかれさん会で秋葉原に行って、買い物して品川で居酒屋に行って大好きな串をたくさん食べて満足していた^ ^ 新幹線の中ではよく眠っていた。
また次の日から学校だけど卒業まで9ヶ月。それまで少しでも平穏に暮らして欲しかった。
イジメは続く
長男は毎日ピアノの練習をしているので、かなり上達していた。
学校の合唱コンクールや校歌の時は必ず長男がピアノ演奏していた。
長男が中2の時、合唱コンクールを見に学校へ行った。僕の前に座っていた女子生徒数名がピアノを弾く長男を見て「キモっ」って言ったのを聞いたときは、とても悲しくなった。
今の中学校のイジメは僕らの頃と違ってかなり陰湿だ。
長男は酷いイジメに遭っていた。
長男はイジメられていることを僕には、ほとんど話さなかった。
実家の祖父には話していたらしく、僕は祖父から情報を得ていた。
そのことは絶対に長男には内緒だった。
なぜなら、そのことを知ったら長男は祖父にも相談しなくなってしまうからだ。
情報が途絶えてしまうからだ。
長男が僕に相談しない理由は、僕に心配をかけたくなかったらしい。
確かに僕も壮絶なイジメを受けていたけど両親には話さなかった。心配してほしくなかったからだ。
それなのに……本当に僕はバカヤローな父親だ!自分も経験しているのに、なんで気づいたり察したりできなかったんだ!
祖父からイジメの内容を聞いた時は怒りで頭が沸騰した。
内容は
生徒たちが体育館に向かう途中、長男が廊下で後ろから思い切り背中を蹴られた。
振り向いても生徒が大勢いるので誰が蹴ったかわからない。みんながニヤニヤしていたらしい。
背中にチョークで落書きされた。
俯いているときに思い切り顔をビンタされた。4人ほど長男の前に立っていたが誰がやったのかわからない。
陰湿だった。
長男は他の子に比べて勉強がまったくできないし、言葉があまり出ないので言い返すこともできない。
彼にとって中学校はとても辛い場所だった。
とりあえずここは祖父と相談して学校に連絡をした。
学校は調査を開始して、2週間後、長男をイジメていた4人の生徒を特定した。
そして彼らは二度とイジメをしないと誓った。(その時だけ)